最期を看取れなかった友人
主人は腐れ縁とよく言っていましたが、
私よりも付き合いが長い友人がおりました。
会社が倒産する以前より前のとある派遣先でクレームが
出た時に、主人が再講習しに行った場所なんだそうです。
その後各々は離れて又、福島でクレームが出てしまったそうです。
そのクレーム処理兼責任者交代してと行きさあこれからと言う時に
会社が倒産しました。
その時取引先だったとある人が出資するから、事業をしないか?と
と言う事で会社を設立しましたが、有る事が原因で業務停止命令が
出まして、その前に呼んでいたのがその友人でした。
それから、ずっとある距離を持ちながら一緒に歩んできました。
その友人は水上温泉の方の出身で、最後の会社も同じでした。
丁度胃がんを患い治ることなく他界しました。
この時主人は上の人に、医者の方から今日明日が峠ですね。と
言われていて最期を看取りたいと進言したのでしたが、ダメでした。
それは、一緒にいた会社の教えのようなもので、親の最期が看取れない分
友人(仲間)は大切にしようよ。という一種の主人が納得した言葉なのだと
思いますが。
結局、看取れずに死後の跡片付けをその友人の兄弟として終わりました。
自分も同じ上野駅(現在は品川?)が終着駅なのでよく歌ってました。
その友人もカラオケで歌っていました。